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あれから1年 [経営]
先月、岩手県陸前高田市で、自動車教習所を経営する社長の話をお聞きする機会がありました。
会社が高台にあったため、幸いにして施設は無事残り、社員さんや生徒さんもすべて無事でした。しかし、社員さんの中には、ご家族が亡くなられた方が数名いらっしゃいます。
その中の一人の女性は、娘さんが内定先の横浜の会社での研修から3月10日に帰ってこられ、翌日、おばあさんと一緒に津波に飲み込まれてしまいました。そして、1週間後に遺体が確認されました。
残されたもう一人の娘さんと、その後、連日茫然自失の日々を過ごしていた時、その会社から出勤命令がありました。
生徒のいない自動車学校に仕事があるわけないのに、と思いつつ出社して見ると、コースの中には救援物資の山ができていて、会社の中は、自衛隊の人とボランテイアの人でごった返していました。
その日から、やりなれないけど他の困っている人々の為にと遅くまで仕事をし、そして帰れば疲れてやっと眠ることができました。
その方から後日、売上のまったくない会社であるのに、早々と「一人も解雇しない」宣言を出されたその社長宛てに手紙が届きました。
そこにはこう書かれてありました。
「働けるということ、会社があるということで、生きる意味を知りました。」
「ある日突然、自社の建物がなくなったら、売上が0になったら」と考えた事もなかった命題を突きつけられました。これが事実として起こったのです。想定外ではすみません。本当に社員にとって必要な会社であるのか、あり続けられるのか、社員だけでなく、その家族、同時に自分の家族の生活を守れるのか。そのためには経営者としてどのように考え、どんな行動を取らなければならないのか。
6550万年前、それまで闊歩していた恐竜が、ある日メキシコのユカタン半島に衝突した直径180kmの隕石の影響で、地球環境が激変し、絶滅したと言われます。しかし、すべての生き物が滅びたわけではありません。大きい恐竜が消えて、小さく数の多い生き物は種を残したのです。ダーウィンの「進化論」は「環境の変化に対応した生物が生き残る」と唱えましたが、最近の研究では違った進化論が考えられています。それは「生物は突然変異を繰り返している。ある時、今までと違った環境に変わっても、その環境に適した突然変異した形態の種が残る」というものです。まず環境の変化が起こり、その変化に合わせて変異するのではなく、まず変異ありきなのです。
どのように環境が変化するか読み切れるものではありません。
だから、企業は前もって変異し続けなければならないのですね。
会社が高台にあったため、幸いにして施設は無事残り、社員さんや生徒さんもすべて無事でした。しかし、社員さんの中には、ご家族が亡くなられた方が数名いらっしゃいます。
その中の一人の女性は、娘さんが内定先の横浜の会社での研修から3月10日に帰ってこられ、翌日、おばあさんと一緒に津波に飲み込まれてしまいました。そして、1週間後に遺体が確認されました。
残されたもう一人の娘さんと、その後、連日茫然自失の日々を過ごしていた時、その会社から出勤命令がありました。
生徒のいない自動車学校に仕事があるわけないのに、と思いつつ出社して見ると、コースの中には救援物資の山ができていて、会社の中は、自衛隊の人とボランテイアの人でごった返していました。
その日から、やりなれないけど他の困っている人々の為にと遅くまで仕事をし、そして帰れば疲れてやっと眠ることができました。
その方から後日、売上のまったくない会社であるのに、早々と「一人も解雇しない」宣言を出されたその社長宛てに手紙が届きました。
そこにはこう書かれてありました。
「働けるということ、会社があるということで、生きる意味を知りました。」
「ある日突然、自社の建物がなくなったら、売上が0になったら」と考えた事もなかった命題を突きつけられました。これが事実として起こったのです。想定外ではすみません。本当に社員にとって必要な会社であるのか、あり続けられるのか、社員だけでなく、その家族、同時に自分の家族の生活を守れるのか。そのためには経営者としてどのように考え、どんな行動を取らなければならないのか。
6550万年前、それまで闊歩していた恐竜が、ある日メキシコのユカタン半島に衝突した直径180kmの隕石の影響で、地球環境が激変し、絶滅したと言われます。しかし、すべての生き物が滅びたわけではありません。大きい恐竜が消えて、小さく数の多い生き物は種を残したのです。ダーウィンの「進化論」は「環境の変化に対応した生物が生き残る」と唱えましたが、最近の研究では違った進化論が考えられています。それは「生物は突然変異を繰り返している。ある時、今までと違った環境に変わっても、その環境に適した突然変異した形態の種が残る」というものです。まず環境の変化が起こり、その変化に合わせて変異するのではなく、まず変異ありきなのです。
どのように環境が変化するか読み切れるものではありません。
だから、企業は前もって変異し続けなければならないのですね。
魚の少ない池 [経営]
営業の講師と称する人は、「売れないのは、魚のいない池に釣り糸を投げ入れているからである。魚のたくさんいる池にそれを投げ入れなければならない」と言われる。
私が取り組んでいる、街中道の駅的野菜販売の「八百屋マン・マーケット」で、先日、地域活性化を目的として同じような取り組みをしている女性と知り合って、その方が行っているマーケットを見学した。
マンモス団地の真ん中でやっているといういい立地条件があるにしても、人通りはほとんどと言っていいほどない場所である。
そこに買いに来られるお客様はほとんどが高齢者の方々で、週1回の市を楽しみにして来られている。
我々がやっているマーケットと比べると、駅前の人通りが多い一見いい場所のように見える所でも、その団地のマーケットの売り上げに遠く及ばない。
これは、上記の魚がたくさんいる池に釣り糸を投げ入れているのだが、よく考えると、釣り糸が多くて、いろいろな餌があるためにそこの魚はおいしい餌を選んで食べているのである。
自分の釣り餌が、他者の釣り餌より圧倒的な差がない限り、思うようには釣れないのである。
一見魚影の少ない池であっても、魚がいれば普段食べている餌と少し違った餌であったり、苦労して取らなくてもいい餌であったりすれば、釣果が上がるのである。
お客様を魚に例えるのは申し訳ないが、ドラッカーのいう「顧客創造」の意味がわかったような気がする。
価格競争でなく、必要なところに、必要なものを提供し、そして必要なものは何かということを、常にお客さまに問いかける競争をする、これが中小企業の生きる道であろう。
私が取り組んでいる、街中道の駅的野菜販売の「八百屋マン・マーケット」で、先日、地域活性化を目的として同じような取り組みをしている女性と知り合って、その方が行っているマーケットを見学した。
マンモス団地の真ん中でやっているといういい立地条件があるにしても、人通りはほとんどと言っていいほどない場所である。
そこに買いに来られるお客様はほとんどが高齢者の方々で、週1回の市を楽しみにして来られている。
我々がやっているマーケットと比べると、駅前の人通りが多い一見いい場所のように見える所でも、その団地のマーケットの売り上げに遠く及ばない。
これは、上記の魚がたくさんいる池に釣り糸を投げ入れているのだが、よく考えると、釣り糸が多くて、いろいろな餌があるためにそこの魚はおいしい餌を選んで食べているのである。
自分の釣り餌が、他者の釣り餌より圧倒的な差がない限り、思うようには釣れないのである。
一見魚影の少ない池であっても、魚がいれば普段食べている餌と少し違った餌であったり、苦労して取らなくてもいい餌であったりすれば、釣果が上がるのである。
お客様を魚に例えるのは申し訳ないが、ドラッカーのいう「顧客創造」の意味がわかったような気がする。
価格競争でなく、必要なところに、必要なものを提供し、そして必要なものは何かということを、常にお客さまに問いかける競争をする、これが中小企業の生きる道であろう。
地域と共に歩む [経営]
明けましておめでとうございます。
新年早々、お隣の工場に空き巣が入りました。
ご近所の町会長さんに新年のご挨拶に伺うと、町会の防犯委員長さんとそのことを聞かされました。
当社もお隣と同じように夜は無人になってしまうので、町会の人達が警戒のための夜回りを強化しますが、もう一度戸締りには注意してください、と言われました。
地元の方々との商売でのつながりはまったくありません。それどころか騒音を出したり、トラックが出入りしたりして、ご近所には迷惑をおかけしているのに、そのようなお声掛けをいただきました。
ありがたいことです。
私も、週一回させていただいている地域の掃除を強化したいと思います。
ささやかな連帯です。
新年早々、お隣の工場に空き巣が入りました。
ご近所の町会長さんに新年のご挨拶に伺うと、町会の防犯委員長さんとそのことを聞かされました。
当社もお隣と同じように夜は無人になってしまうので、町会の人達が警戒のための夜回りを強化しますが、もう一度戸締りには注意してください、と言われました。
地元の方々との商売でのつながりはまったくありません。それどころか騒音を出したり、トラックが出入りしたりして、ご近所には迷惑をおかけしているのに、そのようなお声掛けをいただきました。
ありがたいことです。
私も、週一回させていただいている地域の掃除を強化したいと思います。
ささやかな連帯です。
付加価値とは [経営]
世界で今起こっていることは、ギリシャの財政破綻の影響によるユーロ圏パニック。
アメリカも国家財政破綻寸前でのデフォルト回避でのドタバタ。そしてタイの大洪水による世界的サプライチェーンの停滞。一方日本国内では、政権の不安定による3.11大震災後の復旧・復興の遅れ、福島原発の先の見えない終息、それがあいまった風評被害による東北地方の農林水産業の停滞。そしてここへきての急激な円高とあげれば暗いニュースばかりになってしまいます。新聞等マスメディアは暗いニュースの方が読まれやすいと思っているのではと疑いたくなります。
こういった時代でも生き残りをかけて闘い続けなければなりません。まじめに働くことはもちろん大事ですが、それだけで「米の飯とおてんとさんはついてくる」時代は終わりました。又、政治のトップがコロコロ変わる日本では、お上に頼ってはいられません。
企業を存続させるためには付加価値を高めなければならないとよく言われます。ところでその「付加価値」とはどんな価値でしょうか。本来の意味は、原材料に加工を及ぼし、元の価格より高い価格のものを生み出し、その差を生みだす価値が付加されたことを言うのですが、それだけであれば声高に訴える必要はないのです。それは当り前のことで、それ以外の価値を生み出さなければならないということです。それはさらに高次元の物質的価値、すなわち高精度、超精密、高品質というものもありますが、目に見えない価値もあります。それは時間であったり、満足、幸せといった精神的なものであったりします。徹底した短納期対応などは時間という価値を付加していますし、趣味や娯楽・遊びといったものには後者の価値の欲求が強いのでしょう。
自社を取り巻くお客様の欲求する価値は何か、その価値に対応できるのか、又、自社が作り上げてきた価値を、今提供している市場以外に提供できないか、価値の要求も一段と多様化してきています。「価値」という概念をもう一度色々な角度から見直し、従来の仕事そのものや、やり方にとらわれず、柔軟で大胆な発想の転換が求められています。口で言うのは簡単ですが、実行するのは並大抵ではありませんが、じっくり考え、一歩でも、半歩でも足を踏み出していかなければならないと思います。
暇で困ると嘆くのなら、考える時間、大胆かつ臆病に少し実行する時間はあるはずです。出来ることから少しずつでも始めようと思います。
アメリカも国家財政破綻寸前でのデフォルト回避でのドタバタ。そしてタイの大洪水による世界的サプライチェーンの停滞。一方日本国内では、政権の不安定による3.11大震災後の復旧・復興の遅れ、福島原発の先の見えない終息、それがあいまった風評被害による東北地方の農林水産業の停滞。そしてここへきての急激な円高とあげれば暗いニュースばかりになってしまいます。新聞等マスメディアは暗いニュースの方が読まれやすいと思っているのではと疑いたくなります。
こういった時代でも生き残りをかけて闘い続けなければなりません。まじめに働くことはもちろん大事ですが、それだけで「米の飯とおてんとさんはついてくる」時代は終わりました。又、政治のトップがコロコロ変わる日本では、お上に頼ってはいられません。
企業を存続させるためには付加価値を高めなければならないとよく言われます。ところでその「付加価値」とはどんな価値でしょうか。本来の意味は、原材料に加工を及ぼし、元の価格より高い価格のものを生み出し、その差を生みだす価値が付加されたことを言うのですが、それだけであれば声高に訴える必要はないのです。それは当り前のことで、それ以外の価値を生み出さなければならないということです。それはさらに高次元の物質的価値、すなわち高精度、超精密、高品質というものもありますが、目に見えない価値もあります。それは時間であったり、満足、幸せといった精神的なものであったりします。徹底した短納期対応などは時間という価値を付加していますし、趣味や娯楽・遊びといったものには後者の価値の欲求が強いのでしょう。
自社を取り巻くお客様の欲求する価値は何か、その価値に対応できるのか、又、自社が作り上げてきた価値を、今提供している市場以外に提供できないか、価値の要求も一段と多様化してきています。「価値」という概念をもう一度色々な角度から見直し、従来の仕事そのものや、やり方にとらわれず、柔軟で大胆な発想の転換が求められています。口で言うのは簡単ですが、実行するのは並大抵ではありませんが、じっくり考え、一歩でも、半歩でも足を踏み出していかなければならないと思います。
暇で困ると嘆くのなら、考える時間、大胆かつ臆病に少し実行する時間はあるはずです。出来ることから少しずつでも始めようと思います。
西の京、紅葉散歩 [プチトラベル]
先日、久しぶりに西の京光明寺に行ってきました。
以前行った時はあまり人もいず、門前まで車で行くことができ、静かな境内の紅葉を満喫できたのに、今年は観光バスで乗り付けた観光客で一杯。少々興ざめ。
その後、どこも混んでいるだろうから、前回偶然発見した「金蔵寺」へ行ってみました。
車1台通るのがやっとの道を登り、本当にこんなところにあるのかねと心配になったのを思い出します。
その時は、私達と、もうひと組のご夫婦とたった4人で素晴らしい紅葉を独占したものです。
今年は雑誌に穴場として紹介されたらしくそうはいきませんでしたが、それでも静かな境内でした。

破れ提灯が隠れ寺を現わしていますね。
.jpg)
金蔵寺本堂の紅葉

奥に徳川綱吉の母、桂昌院のお墓がひっそりと立っています。
桂昌院の墓を建てるにあたって、荒れていたこの古刹を修復したそうです。
以前行った時はあまり人もいず、門前まで車で行くことができ、静かな境内の紅葉を満喫できたのに、今年は観光バスで乗り付けた観光客で一杯。少々興ざめ。
その後、どこも混んでいるだろうから、前回偶然発見した「金蔵寺」へ行ってみました。
車1台通るのがやっとの道を登り、本当にこんなところにあるのかねと心配になったのを思い出します。
その時は、私達と、もうひと組のご夫婦とたった4人で素晴らしい紅葉を独占したものです。
今年は雑誌に穴場として紹介されたらしくそうはいきませんでしたが、それでも静かな境内でした。

破れ提灯が隠れ寺を現わしていますね。
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金蔵寺本堂の紅葉

奥に徳川綱吉の母、桂昌院のお墓がひっそりと立っています。
桂昌院の墓を建てるにあたって、荒れていたこの古刹を修復したそうです。
出会い [ショート・ショート]
先日、一人は中学時代の同級生A君、もう一人は高校時代の同級生B君が一緒に歩いているところにばったり出くわした。私と三人は小学校時代の同級生である。偶然の再会を大いに喜び、共通の話題である小学校時代の話をしながら公園の近くを歩いていると、その公園を足早に横切って、O君がやってきた。私にとって彼は大の親友の一人であり、小・中・高の同期生である。何を持って単なる友人と親友を区別するのかは私の勝手な区分にすぎないが。
A君、B君にとってはO君と会うのは私に会う以上に久しぶりなので、この偶然を大いに喜び語りかけていた。
O君は人に会う約束に少し遅れているのだと笑顔で語りながら、来たとき以上に足早に「又な」と言って去って行った。私達も彼のほうに向かって大きく手を挙げた。その時、私達に怪訝な顔を向けて通り過ぎた人がいたのをちらっと眼の端にとらえた。
時々小雨が降ったりやんだりする曇天の空の下、傘を大きく振りながら去っていくO君の後姿を見ながら、「きっと待ち合わせ場所に傘を忘れるな」と思った。
だんだん私が乗る電車の駅が近づいて来た時、急にB君が「あれっ。確か去年久しぶりにやった高校時代の同窓会の時、配られた参加者名簿の欄外の物故者のところにO君の名前なかったっけ?」と言いだした。
そう言われて私もふっと気づいた。彼は5年前の年末に亡くなったのだった。私が親友として、弔辞を読み、葬儀委員長も務めたのだから間違いない。
以前にもこれとよく似たことがあった。
O君とは中学時代同じクラブに所属していた。その中学のクラブのOB会でO君と出会い、僅かな時間であったが親しげのしゃべっている横で、後輩たちがやはり怪訝な顔をしていたのを思い出した。その時も彼は誰かと会う約束があるのでと言って、すぐ退席していったのである。
O君をよく知っている人には見えて、知らない人には見えないらしい。
先の偶然が重なった出会いは、今となっては鮮明すぎる夢であったのか、現実に起こったことなのかどちらかわからない。今度A君かB君に会ったら確かめてみようかとも思うが、きっと会ったら昔話に花が咲き、そのことを聞くのを忘れてしまうだろう。
それでもいい、O君が傘を忘れるように・・・
A君、B君にとってはO君と会うのは私に会う以上に久しぶりなので、この偶然を大いに喜び語りかけていた。
O君は人に会う約束に少し遅れているのだと笑顔で語りながら、来たとき以上に足早に「又な」と言って去って行った。私達も彼のほうに向かって大きく手を挙げた。その時、私達に怪訝な顔を向けて通り過ぎた人がいたのをちらっと眼の端にとらえた。
時々小雨が降ったりやんだりする曇天の空の下、傘を大きく振りながら去っていくO君の後姿を見ながら、「きっと待ち合わせ場所に傘を忘れるな」と思った。
だんだん私が乗る電車の駅が近づいて来た時、急にB君が「あれっ。確か去年久しぶりにやった高校時代の同窓会の時、配られた参加者名簿の欄外の物故者のところにO君の名前なかったっけ?」と言いだした。
そう言われて私もふっと気づいた。彼は5年前の年末に亡くなったのだった。私が親友として、弔辞を読み、葬儀委員長も務めたのだから間違いない。
以前にもこれとよく似たことがあった。
O君とは中学時代同じクラブに所属していた。その中学のクラブのOB会でO君と出会い、僅かな時間であったが親しげのしゃべっている横で、後輩たちがやはり怪訝な顔をしていたのを思い出した。その時も彼は誰かと会う約束があるのでと言って、すぐ退席していったのである。
O君をよく知っている人には見えて、知らない人には見えないらしい。
先の偶然が重なった出会いは、今となっては鮮明すぎる夢であったのか、現実に起こったことなのかどちらかわからない。今度A君かB君に会ったら確かめてみようかとも思うが、きっと会ったら昔話に花が咲き、そのことを聞くのを忘れてしまうだろう。
それでもいい、O君が傘を忘れるように・・・
関西幻の柿 刀根早生柿 [都市型小規模農業]
又、以前ブログに書いた刀根早生柿を農家さんより直仕入れしてきました。
今年は夏の天候不順で2週間ほど遅れての出荷です。
糖度15度以上のあまーい出来栄えです。
スーパーで売っている和歌山の種無し柿と食べ比べてみると、断然美味しさが違います。
売り場で一度買って頂いたお客さんはほとんどの方がリピートされます。
我々のやっている道の駅的販売方法では、このように単に安いとかおいしいだけでなく、物語があるものを消費者に提供することが大いなる差別化になっていきますね。
今年は夏の天候不順で2週間ほど遅れての出荷です。
糖度15度以上のあまーい出来栄えです。
スーパーで売っている和歌山の種無し柿と食べ比べてみると、断然美味しさが違います。
売り場で一度買って頂いたお客さんはほとんどの方がリピートされます。
我々のやっている道の駅的販売方法では、このように単に安いとかおいしいだけでなく、物語があるものを消費者に提供することが大いなる差別化になっていきますね。
小淵沢周辺 [プチトラベル]
昨年に続き、大学の後輩達と今年は小淵沢に行ってきました。
昨年は、フォサマグナの北側、糸魚川で断層を見てきて、今年はその南の方でやはり断層を見ました。
サントリー白州工場の近くに川をはさんだ大きな断層です。
川の東側は太平洋プレートに押されて北へ移動し続け、その反作用で、川の西側は南にずれていっているのです。
その力で数百年に一度地震が起こり、盛り上がった地層が露呈しています。

八ヶ岳山麓より富士を望む。
帰りには、ついでに野辺山農協や道の駅から、白菜、キャベツ、トマト他、野菜を山盛り仕入れてきました。
今週土曜日午前中は、湯里東ダイレオ前、午後は平野駅みのりクリニック前、日曜日は当社前で販売しますよ。
昨年は、フォサマグナの北側、糸魚川で断層を見てきて、今年はその南の方でやはり断層を見ました。
サントリー白州工場の近くに川をはさんだ大きな断層です。
川の東側は太平洋プレートに押されて北へ移動し続け、その反作用で、川の西側は南にずれていっているのです。
その力で数百年に一度地震が起こり、盛り上がった地層が露呈しています。

八ヶ岳山麓より富士を望む。
帰りには、ついでに野辺山農協や道の駅から、白菜、キャベツ、トマト他、野菜を山盛り仕入れてきました。
今週土曜日午前中は、湯里東ダイレオ前、午後は平野駅みのりクリニック前、日曜日は当社前で販売しますよ。
平成維新か? [景気、経済]
歴史的な大きな転換点である明治維新は、明治元年だけをいうのではない。狭義では1867年大政奉還からを始まりとするが、広義では1853年(嘉永6年)黒船来航からとする説が有力で,終了は一般的には1889年(明治22年)大日本帝国憲法制定の年までとされる。このように、明治維新といっても大変化するためには20年以上の年月をかけて、後世の歴史観からしてあの期間の以前と以降では大きく変わったと気づくのである。それまで、国内に矛盾が鬱積し、黒船来航という外圧によって開国、近代化へと大きく舵を切っていった。
今、我々は戦後は終わったと早くから言われ、高度成長期が終焉し、失われた20年といわれる低成長期の真っただ中にいる。自民党一党政治体制から、二大政党時代の幕開けが垣間見える昨今、2008年のリーマンショック、今年3月11日の東日本大震災と大きな外圧にさらされ、今まさに歴史的大転換期にいるのかもしれません。それまで右肩上がりだった人口も2005年をピークにして減少が始まり、高齢者比率が上昇する一方という今まで経験したことのない環境に突入している。数十年後に振り返れば、日本にとって平成初期の20数年間は大きな歴史の転換期であったと言われるかもしれない。私達は今まさにその渦中にあるから、ゆでガエル的に気づかないのかもしれません。IT化の波が世界を呑み込み、モバイル化がさらにその変化の先をゆき、そんな時にTPP批准の波に乗り遅れて鎖国を繰り返していてはいられないでしょう。
明治維新の前夜には禁を破って藩を超え、理想を掲げ、人は情熱を持って活動した。各自が正しいと思う道を進み、その結果、歴史に流された人物もいれば、名を残した人物もいる。どちらにしても信念と情熱を持って行動しなければどちらにもならなかったことだけは事実である。
歴史に名を残すという大それた考えは持てないにしろ、企業を残すという信念だけは持ち続けたいものです。そのためには理想を掲げ、情熱を持って行動するのみです。残すのは社名ではありません、働く場を残し、発展させることです。
自分の力ではどうすることも出来ない時代の流れ、外圧、自然災害。そんな厳しい状況に直面すれば人間の本能として避けたいものである。それが避けられない時、それと向かい合わなければならなくなった時、人はどうすればよいか今まで以上に深く考える。深く考えれば考えるほど、人は強くなり、人と人との絆の大切さを知るのだと思います。
今、我々は戦後は終わったと早くから言われ、高度成長期が終焉し、失われた20年といわれる低成長期の真っただ中にいる。自民党一党政治体制から、二大政党時代の幕開けが垣間見える昨今、2008年のリーマンショック、今年3月11日の東日本大震災と大きな外圧にさらされ、今まさに歴史的大転換期にいるのかもしれません。それまで右肩上がりだった人口も2005年をピークにして減少が始まり、高齢者比率が上昇する一方という今まで経験したことのない環境に突入している。数十年後に振り返れば、日本にとって平成初期の20数年間は大きな歴史の転換期であったと言われるかもしれない。私達は今まさにその渦中にあるから、ゆでガエル的に気づかないのかもしれません。IT化の波が世界を呑み込み、モバイル化がさらにその変化の先をゆき、そんな時にTPP批准の波に乗り遅れて鎖国を繰り返していてはいられないでしょう。
明治維新の前夜には禁を破って藩を超え、理想を掲げ、人は情熱を持って活動した。各自が正しいと思う道を進み、その結果、歴史に流された人物もいれば、名を残した人物もいる。どちらにしても信念と情熱を持って行動しなければどちらにもならなかったことだけは事実である。
歴史に名を残すという大それた考えは持てないにしろ、企業を残すという信念だけは持ち続けたいものです。そのためには理想を掲げ、情熱を持って行動するのみです。残すのは社名ではありません、働く場を残し、発展させることです。
自分の力ではどうすることも出来ない時代の流れ、外圧、自然災害。そんな厳しい状況に直面すれば人間の本能として避けたいものである。それが避けられない時、それと向かい合わなければならなくなった時、人はどうすればよいか今まで以上に深く考える。深く考えれば考えるほど、人は強くなり、人と人との絆の大切さを知るのだと思います。
陸前高田の自根キュウリ [経営]
つい今しがた、被災地の陸前高田からキュウリが届きました。

創業200年の歴史を誇る「八木澤商店」が3月11日の大震災ですべての設備を喪失しました。
そんな中でも、4月1日に近くの仮社屋で新入社員の入社式をおこない、「すべて失いましたけど会社は残っています。こんな会社ですけど入社してくれますか?」との問いに、若い女性は「はい」と元気に返事している姿がマスコミにも取り上げられて、感動したことを思い出します。
その八木澤商店が製造していたお漬物用として、8代目がこだわって作った「自根きゅうり」です。
今スーパー等で売られているキュウリはほとんどがカボチャの苗に接ぎ木して作られているものです。
病気になりにくく、白い粉も吹きにくいのですが、皮が固くて、傷は付きにくいのですが、漬物にするには塩が沁み込みにくいものだそうです。
本来のキュウリの姿に戻し、栽培し、現在陸前高田のこのあたり一帯は「自根キュウリの里」と呼ばれるようになっています。
漬物工場が被災したために、生育したキュウリの持って行き場がなく、その話を聞いた友人が「八百屋マンマーケットで売れないかと話を持ってきてくれました。
応援キュウリとして少しでもお手伝いができたらいいなと思い、何とか売る算段をしてみます。

創業200年の歴史を誇る「八木澤商店」が3月11日の大震災ですべての設備を喪失しました。
そんな中でも、4月1日に近くの仮社屋で新入社員の入社式をおこない、「すべて失いましたけど会社は残っています。こんな会社ですけど入社してくれますか?」との問いに、若い女性は「はい」と元気に返事している姿がマスコミにも取り上げられて、感動したことを思い出します。
その八木澤商店が製造していたお漬物用として、8代目がこだわって作った「自根きゅうり」です。
今スーパー等で売られているキュウリはほとんどがカボチャの苗に接ぎ木して作られているものです。
病気になりにくく、白い粉も吹きにくいのですが、皮が固くて、傷は付きにくいのですが、漬物にするには塩が沁み込みにくいものだそうです。
本来のキュウリの姿に戻し、栽培し、現在陸前高田のこのあたり一帯は「自根キュウリの里」と呼ばれるようになっています。
漬物工場が被災したために、生育したキュウリの持って行き場がなく、その話を聞いた友人が「八百屋マンマーケットで売れないかと話を持ってきてくれました。
応援キュウリとして少しでもお手伝いができたらいいなと思い、何とか売る算段をしてみます。
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